2007年09月05日

人材を育てる

「人材」は、如何に育つのか。

もう2千年以上も前、ローマ最高の弁論家、弁論の達人と言われたキケローは『弁論家について』という本の中で、こんなことを言っている。「弁論家」を創るのに、ある種の実践的規則、言い換えれば方法論やテキスト、マニュアルなどがあり、それをもって弁論家が創れるというなら、世の中には弁論家でない人間などいないはずである。しかし、現実には、素晴らしい弁論家は、そうは簡単にはいない。ここで言う「弁論家を創る」とは、「人材を育てる」という意味に置き換えることができるが、要は、方法論やテキスト、マニュアルだけでは人材を育てることはできない。その有益性は充分に有るわけであるが、それだけでは人材は育たないということである。


人材には何が必要なのか。それは、物事を「判断できる基準」だと言っている。キケローの言葉を続けると、「学術」である教育によって何かを発見するに至るということでもなく、それは生まれながらの「天性」によって達成するもの、「研鑽」によって達成するもの、「実践」によって達成するもの、それが「正しいものである」と確信したり、間違ったものであると理解したりするのは、それと比較して、判断ができる基準が何であるかを我々が学んだときに初めて可能となる、と言っている。つまり、人は判断できる「基準」を学んだときに、判断基準を会得したときに、人材となるということである。判断できる基準、そして判断力を高めるには、より多くの知識が必要であるし、実践的な規則、テキスト、マニュアルも有効であることには変わりないが、判断できる基準を「自分自身に持つ」ことが一番重要なのである。これが人材になる基本である。この判断できる基準を示してやることが、人材育成ではないかと考えている。


教科書、マニュアルなどは、人材を育てるための一つの道具にすぎない。人材を育てるには教育も重要であるが、それ以前に、学ぶ者自身の自覚と自己研鑽、実践、要はリアルな経験=体験が必要である。それをもって、正しい判断基準を自分自身の中に創ることである。

体験という意味では、最近ではコンピュータを使ったバーチャルな体験もできるが、やはり重要なものはリアルな、現実の体験、経験である。そして、その経験によって、知識を正しく組み合わせて論理判断することが重要である。また、人材には、生まれ持った能力、天性も影響するかもしれない。ただ、人材を育てるには、その人の持つ「判断力」を鍛えてあげることで、人が人材として育つ手助けは充分にできるのではないかと考えている。


判断力は、どうしたら鍛えることができるのだろうか?
それは、判断力を既にもった人が、正しい判断力を指導してあげることである。単に知識を覚えさせただけではダメで、覚えた知識を組合せ、論理的な思考・考察を行い、物事を正しく判断する能力を身につけさせてあげることが、人材育成のポイントとなる。人材として育つための思考訓練を手助けしてあげることである。


思考すること、考えることについては、ドイツの哲学者であるショーペンハウエルが、次のように言っている。思考するためには、第1に、心にかかるいかなる問いをも率直に問い出す勇気をもつこと、第2に、自明の理、当たり前、常識、と思われるすべてのことを、あらためてはっきりと意識し、そうすることによってそれを問題としてつかみなおすこと、第3に、本格的に思考するためには、精神の余裕、要は心の余裕をもっていなくてはならい。頭の中がニュートラルでなくてはならないと。

これは、考える能力を高める上で非常に重要なことである。特に、当たり前のこと、自明の理をあらためて問題としてつかみ直すことは重要である。「そんなことは常識でしょう!」と言われた場合、その常識自体がおかしいのではないかと考えたたことはあるだろうか。是非、考えてみてほしい。これは思考のトレーニングになる。そこで、何か新たな発見があるかも知れない。。多分、あると思う。


考えている学生達



森の未来に出会う旅
http://www.mori-mirai.com/


Posted by 坂本世津夫 at 05:54│Comments(0)TrackBack(0)

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